イキトス(アマゾン)(4)〜アマゾンのまとめ〜いろいろな生き方、いろいろな幸せ

(7月12日)

ロッジからナウタへ

すべてのアクティビティを終え、午後はナウタという町を経由してイキトスへ帰ります。


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(右上が空港のあるアマゾンの玄関口イキトス。行きは、イキトスからスピードボートで約3時間半南西(上流)にのぼり、ロッジに行きました。帰りは、スピードボートでさらに約2時間南西に進み、ナウタという町で車に乗り換えイキトスまで戻ります)

この、最後に行ったナウタという町はなかなかの田舎でして、私と妻が道ばたで迎えの車を待っているだけでかなり目立っていました。道行く人が皆、「なんだこの少し身なりが綺麗なアジア人は?」と振り返ってくる感じです。

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(かなりの田舎ぶり、ナウタ)

そんなわけで無事にイキトスの空港まで帰り、VictorとJazminともお別れ。楽しいアマゾンツアーも終わりを迎えました。アマゾンで感じたことを最後にいくつかまとめます。

自然と動物園は違う

自然の中では、動物の野生の姿を見ることができます。面白いことに、野生の動物はその動作ひとつひとつがとても興味深く感じられます。おお、ナマケモノが動いた!本当にゆっくりだ!音に反応して枝から枝に移っている!というような。しかし、野生の動物は近くで見るのが難しく、また見つけられないことも多々あります

一方で、動物園では動物をいつでも近くで見られ、場合によっては触ることもできます。でも、どうも燃えないんですよね、、。躍動感がないというか、Live感がないというか。個人的には、動物は苦労してでも野生を見に行くのがいいような気がします。

野生のナマケモノに触れたらいいなあと思っていたのですが、やろうとしたらできたかもしれませんけど、これは基本的な願望として間違っていたと思いました。野生のナマケモノを捕まえて触ったりしたらナマケモノに多大なストレスを与えてしまい、ナマケモノの今後によくありません。ですので、近くで触りたいならそれは飼われているナマケモノでするべきなんだなあと考えを改めました。

ちなみに、近くで野生の動物を見ることができる偉大な場所は、旅の最後で訪れたガラパゴスです。これは、最高です。しかし、ガラパゴスについて書くまで、この旅行記が続くかどうか。

知ることが自然を守る第一歩となる

ガイドのビクトールによると、イキトスの自然は年々破壊されているそうです。例えば、私たちも森の中で樹齢何百年という巨木を見ましたが、こういった木を現地の人々は外から買い付けに来た人に非常に安い価格で売ってしまうのだそうです。現地の人々には、「このエリアの自然は自分たちのものであり、それをどのように使うかは自分たちの自由」という意識があるそうで、それ自体は昔からの生き方で否定はできないものの、「その巨木は育つのに何百年もかかり、売ったらもう再び育てるのはほぼ不可能」という知識がないのだとか。そして、現地の人々が生活で使うレベルを大きく越えて外から買い付けようとする人がやってくるので、どんどん大きな木がなくなってしまうのだそうです(外から木の買い付けに来る人は、その巨木が現代ではとても貴重なものであることをもちろん知っています)。私たちは、実際に太い木があらかた切り取られ、草地になった空間なども訪れました。ビクトールは、「どれだけ身の回りにある森が貴重かを現地の人々が知ること」が自然保護の第一歩になると語っていました。

川は豊かな生活の手段

アマゾンでは、森深くを移動するのは危険であり、人々は川を大小様々な舟で移動します。川は運搬の手段だけでなく、魚をとる場であり、農業水でもあり、洗濯をする場でもあります(アマゾンの水を飲むのかどうかは聞き忘れました、そのままでは飲めないでしょうが、浄水器を通したら現地の人は飲めるのでしょうか)。川が森で暮らす人にとってどれだけ重要なのか、とても印象に残りました。

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(川で洗濯をする女性。洗濯を手でするのは、すごく大変です)

アマゾンの生活にはアマゾンの豊かさがある

ビクトールが面白い話をしてくれました。昔、ドイツからのエンジニアを案内したことがある。彼は、アマゾンで小舟から川底にもぐって漁をする男性を見てこう言ったそうです。「かわいそうに、彼は学がないからあのようなことをしないといけないのだね」しかし、漁から戻って来た男性の手には、アマゾンの川底でとれる貝がたくさん握られていました。それらはアマゾンの住民にとっては重要なタンパク源であり、また男性と村の人々が生きて行くには十分すぎる量です。ビクトールはエンジニアに言ったそうです。「彼は、学がないから川に潜っているのではありません。彼はプロフェッショナルな漁師であり、川の流れ、川底のどこに貝があるかを熟知しています。あの貝は、彼らにとって必要十分なものです。あなたにも、彼のように貝がとれますか」エンジニアはビクトールの話を聞いて、漁師がプロであることを理解し、学がないという自分の発言を取り下げたそうです。

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(アマゾンで漁をする人々)

ビクトールの言い方を借りれば、もしも地球中で食料が足りなくなった時、先進国の都市部の人々は飢えに苦しむかもしれない。しかし、アマゾンの人々は最後まで生き残ることができる。なぜなら、自分たちに必要なものを、作り得る手段を知っていて、アマゾンはそれを人々に与えてくれるからです。

先進国の都会に生まれ育った私から見れば、たしかにアマゾンの人々の身なりは泥だらけです。しかし、環境が違えばそれに合った生活の仕方があるだけで、アマゾンという環境で暮らす人々にとっては、私たちがイメージするほどの不自由はないのかもしれませんし、彼らには感じられる豊かさがあるのだと思います。

人間は環境にそれなりに適応できる

私たちも(現地の住居に比べればずっと整ってはいるものの)ロッジでアマゾンに二泊してみたわけですが、人間は環境にそれなりに適応できるのだなと思いました。(一応浄化された)アマゾンの水で体を洗うのもたいして気にはなりませんし、夜は夜風にあたり蚊帳の中で虫や鳥の声を聞きながら寝るのも悪くないものです。キューバでも思いましたが、衛生環境が清潔で、温度が過ごしやすく、栄養と水がとれれば、まあ人間それなりに生きて行けるんだなと思いました。

ただ、これには後日談があり、リマに戻った後、どうも服の臭いが気になるんです。これは、アマゾンの水で洗った洋服たちが臭うんだろうと。アマゾンにいる間は感じませんでしたが、どうも服にアマゾン水の臭いがついて体全体がかなり臭くなっていたようです。リマで懸命に手で洗濯をして、手がまた痛くなったことは言うまでもありません。人間は、普段と違う環境に適応することができますが、日常に戻った時にその適応を忘れるのも早いようです。

服の臭いにはさらに後日談があり、シカゴに戻った後、やっぱり服の臭いが気になるんです。どうも、南米各地の水で洗った洋服が臭うようで、結局洋服の半分は腐った牛乳のような臭いがするので捨てざるを得ませんでした。アマゾンか、ボリビアか、イグアスか、ガラパゴスか、どこが悪かったのかわかりませんが、先進国の日常に戻ると南米の水は臭く感じられるようです、、。

余談:イキトスでのマラリアリスクについて

ビクトールによると、このエリアのアマゾンではマラリアは過去数年間発祥の例がなく、マラリアの感染リスクは心配しなくて良いということ(アメリカの病院で得た感染リスクマップでは、この地域はマラリアの危険高いとされていますが)。しかし、腸チフスのリスクはあるので要注意、と言っていました。ご参考として記載しますが、旅で最大のリスクは病気だと思うので、慎重な判断をお願いします(私たちは、マラリアも腸チフスも予防対策をしていたので、いずれにせよ問題はありませんでした。)。

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(帰りのボートから。さようならアマゾン!)

今晩は飛行機でリマに戻り、明日はリマ観光です。