中南米一周の旅 終わりに:世界を見ても、価値観は変わらないが、想像力は飛躍的に高まる

自分は、長期間にわたって発展途上国を旅行したり滞在する経験をしたことがなかったので、今回の旅行で何を得られるか、とても楽しみにしていました。旅行を終えて2ヶ月が経ち、自分にとってこの旅行は何だったのか少し振り返ってみました。

自分の価値観は変わらないが、想像力は飛躍的に高まった

2ヶ月中南米を旅行するのは、すべての予定を事前に立てることができず旅行計画に柔軟性が求められたり、日程や移動の管理スキルが少し高度に求められたりするという意味では、1週間どこかに海外旅行に行くのとは違います。しかし、長期旅行であっても行き先でやることは基本的に短期旅行と同じです。飛行場から宿泊地に行き、荷物を置いて、やることを決めて、観光をして、食事をして、現地の人や他の旅行者と会話をして、また次の目的地に移動する。私たちは中南米を2ヶ月で(だいたい)一周したわけですが、これを4倍ぐらいやれば、世界一周もできそうです(イスラム圏にも、行ってみたいな〜)。

この短期旅行を繰り返すような長期旅行で、自分の価値観が変わるかというと、そんなことはありません。長期旅行なりの苦労や工夫はあれど、それは自分のコアを揺さぶるほどチャレンジングなことではないからです。自分はもう30歳を過ぎたおじさんなので、世の中に対する見方も自分の価値観も残念ながらコアの部分は固まってきています(コア以外は、自分ではわりと柔軟だと思っています(笑))。MBA留学をして、海外生活によるショックはすでに経験してしまいました。自分のコアを揺るがすような経験は、ただ長く、多少(おじさん的に)アドベンチャラスな旅行をした程度ではできないのだと思います。

それでは旅行から得られたものが少なかったかと言ったら、そんなことはありません。私がこの旅行で得られたことはふたつあると思っています。

ひとつは、「ずっとやってみたかった発展途上国への長期旅行をやってみた」という達成感と思い出を得られたこと。学校を卒業して仕事に戻り、子供が生まれたら、さすがに南米をずっと旅行することはもうできません。また、子供が大きくなっていい歳になってから、ボリビアで10ドルの宿に泊まったりボリビアとチリの国境山岳地帯に半日放置されてみたりするのも、年齢的に厳しそうです(笑)。この機会を逃したらもう二度とこんな旅行はできないわけですから、この旅行は私たち夫婦の人生にとって意味がありました。まあ、私にとっては「お前はあとは働くしかない」という感じかもしれませんが。

もうひとつは、想像力を高められたこと。少なくとも、自分が訪れたメキシコ、キューバ、ペルー、ボリビア、チリ、ブラジル、エクアドルについては、ニュースでこれらの国々が出てきた時に、自分の中で想像できる範囲が大きく広がり、これらの国の出来事についてはかなりリアリティを持てるようになりました。Chicago Boothにも、南米から留学してきている多くの学生がいますが、彼らとも彼らの母国の様子を少し思い浮かべながら話をすることができるようになりました。アマゾンの生活を学んだことは、他の途上国の生活を想像する上で想像の土台になり得ます。百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、現地に行って見て感じて得られることはたくさんあるのですね。これから発展する国々への想像力を大きく高められたことは、私が今後働く上でおおいに役立つことでしょう。

旅行記を書いて、自分の癖を知る

自分で旅行記を書き進めながら気づいたことが3つあります。

一つは、私は旅行先でいろいろな人と話したり交渉したりしたことが最も記憶に残っており、観光名所の記憶力は概してそれほどでもないこと。特に、インターネットがなく、宿探しやツアー探しなどで多くのクセの強い人々と関わったキューバが最も記憶に残った訪問地であることは、この私の性格を反映していると言えそうです。

二つ目は、旅行先で現地の人の行動や言動を観察し、その社会的背景を考えるのが好きなこと。これは、私の生来の社会好きから来ているとも言えるでしょうし、営業時代に相手の発言の背景を考える癖が付きすぎたこともあるかもしれません。ペルーのイキトスでアマゾンの生活の豊かさに触れた時、南米の最貧国ボリビアで他国と何かの違いを感じた時、チリで先進国を感じた時、それぞれの時にその理由をいつも考えていた気がします。

三つ目は、国、都市、観光地、ホテルなどさまざまな「エンティティ」の、キャッシュフロー(儲かっているのかどうか)を心のどこかで気にする癖があるらしいこと。これは、企業価値評価を仕事にしていた職業病かもしれませんが、どうやってその「エンティティ」は「まわって」いるのか、「まわるカラクリ=ビジネスモデル、強みの源泉、その強みを保てる理由」は何なのか、収入、変動費、固定費、投資、借入、はどんな感じになっていそうか、がどうしても気になります(笑)。ガラパゴスエコツーリズムと自然保護の両立に私がひどく感心したり、キューバという国の成り立ちにやたらと私が関心を持ったりした背景には自分のこういうマインドがありそうです。

だから何だ?と言われると困ってしまうのですが、自分がピュアに関心のあることを洗い出す機会など、おじさんになったら基本的にありませんから、久しぶりにこんな学生のようなことを考えてみるのは新鮮な感覚です(実際、いまは学生ですが)。社会人経験を経て自分のコアが出来ている分、自分が大学生の頃に比べると、「自分が気にすること、気になること」が具体的な言葉になりやすくなっている印象があります。おじさんになってから、このように考える時間を持つのも、たまには悪くないと思いました。

長期旅行に出られる環境が日本にも欲しい

南米では、多くのヨーロッパからの旅行者に会いました。彼らはバケーションが1ヶ月あるのも普通で、その機会に南米に旅行をしに来ます。一方で、日本からの旅行者は少なかったです。もちろん、日本から南米は遠いという事情はあります。しかしもうひとつ、日本では社会人になると休みをまとめてとるのが非常に難しいという事情が、南米で日本人をあまり見ない理由のひとつにあると思いました。

私は、これは単純に良くないことだと感じました。世界を見聞するのは、本当に面白くて、自分の想像力を広げてくれます。学生ではなく、おじさんになってから南米に来れば、社会経験を積んだ分、学生さんとは違う世界が見えてくるものです(もちろん、若い学生ではないと経験できない、感じられないこともあると思います)。ヨーロッパのように1ヶ月とは言わずとも、2週間休みがとれれば日本から南米に来ても一国をしっかりと見てまわることができます。日本の社会全体が2週間の休みを当然とするようになればそれにこしたことはありませんが(日本は他国に比べて祝日が非常に多いので、祝日を減らして有給取得を奨励すれば休日日数的には別に無理はないのですが)、現実味がないので、せめて年に1回2週間の休みがとれる会社をいつか自分で作ってみたいものです(笑)。大人が(時には子供を連れて!)リゾートではない海外を旅行することがもっと簡単にできるようになれば、その分日本人の目は海外に開かれると思います。アマゾンに来ていたフランス人の子供連れ家族を今でも思い出します。いや、でも、自分の子供のことを考えたら、アマゾンは危ないと思ってしまうかもしれませんが(保守的?)。

そんなわけで、長々と書いてきた旅行記はここまでで打ち止めです。次回からは、きっちりと教育とキャリアの話題に戻りたいと思います。ありがとうございました。