ハバナ(2)〜革命と社会主義と楽天主義とカオス

(7月3日)

キューバの簡単な歴史

15世紀末より、スペイン人による植民地化がスタート。植民地化の過程で、虐殺と伝染病のため先住民は絶滅。黒人奴隷が使われたため、今も人口構成は白人系と黒人系が大半。19世紀に独立運動が大きくなり、独立の英雄ホセ・マルティが活躍。アメリカの介入と米西戦争を経て、1902年にキューバはアメリカの強い影響力のもとで独立。以後、アメリカによる経済的な搾取は強まり、1959年の革命前には、アメリカ資本、アメリカ政府の庇護を受けたキューバ政府が富み、多くのキューバ国民は食べるものにすら困る状況であったらしい。1959年にフィデル・カストロの指導による革命が成功、旧政府は亡命。この時、革命をフィデルとともに進めたチェ・ゲバラは有名。(私が本を読んだり博物館の展示を見た印象では)フィデルは社会主義革命を目指したというよりはアメリカ支配の開放を目指したように見受けられる。当初フィデルはアメリカからの名実ともの独立を表明しつつもアメリカとの関係維持を模索するが、フィデルが進める国民のための政策=アメリカ資本企業や土地の国有化などがアメリカの理解を得られるはずはなく、CIA等による介入をはねつけた上で、結局キューバは社会主義陣営へ。ソ連崩壊後は東側からの経済援助が激減し経済的に苦境に立たされるも、観光などで多少なりとも外貨を稼げるようになり今に至る。フィデルは存命だが高齢を理由に政界からは引退。弟のラウル・カストロが指導をとり、少しずつ市場経済の導入が進められている。今もアメリカとは国交がなく、米国民は政府の許可がなければキューバに渡航できない。

キューバで街を歩いて感じたことあれこれ

この日はハバナ観光です。観光スポット紹介に入る前に、ハバナの旧市街を歩いていて感じたことをいくつか。

街が古くてきたない

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ハバナ旧市街。観光客向けにメンテナンスされている通りと、地元の人が暮らすたいしてメンテナンスされていない通りがあり、特に後者はスラムと言われても全く違和感ない汚さ。この通りはメンテナンス中だが、この地面の工事はいったいいつ完了するのか?永遠に完了しないの、、かもしれない)

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(地元の人向けの果物売り。地面がボコボコであることに注目。ハバナ旧市街はスペイン植民地時代からの古い街並みで世界遺産だが、金がなくて直せないから古いままというのが正解)

しかし、なぜか治安の危険は感じない

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(このように、あまりにもボロボロで、他国だったら「こんなスラムは危なくて歩けない」と思わせるハバナだが、なぜか治安の危険は感じないのが面白いところ。夜でもよほど真っ暗で人のいない通りでなければ安心して歩ける。また、シカゴでは汚い身なりの黒人が多くいると身構えるが、ここでは白人と黒人に経済的な差別は(少なくともアメリカほどには)なく、黒人だから恐いという感覚はない。当たり前だが、恐いという感覚は肌の色の違いではなく経済的な格差から生じるということを実感。社会主義なので、警官のコントロールも厳しいのかもしれない)

野良犬が多い

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(なぜか、キューバには野良犬が多い。そして、朝は道が野良犬の糞だらけだが、夕方には綺麗になっている。おそらく、国から給料をもらって犬の糞を清掃する職員がいるのだろう)

物がない

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とにかく物がない。これらは旧市街の中にあるマーケットだが、どこも棚がガラガラ。売り物が有る場合も、飴はバラ売り、どれもショーケースの中に格納。キューバの後、メキシコシティの空港に戻った私たちのはじめの感想は、「おお、物が溢れている!さすが先進国」)

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(こちらは薬局。私たちが普段使うようなもの(歯磨き粉など)はすべて下の陳列ケースの中に丁重に少しだけ並べられている。棚に綺麗に並んでいる陶器の壷は薬草。おそらく、薬を外国から輸入するお金がないからキューバ国内でとれる薬草でなるべく治療を賄おうということだろうか。キューバの医療システムは安価で発達しているはず、、だが)

昼間から油を売っている人が多数

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(昼間から、お喋りする人、ドミノで遊ぶ人など、油を売っている人が多い。なお、手前の警察官は派手な網タイツをはいている。空港の税関職員も同じように網タイツをはいており、網タイツは公的な場でも全く違和感ない文化らしい)

クラシックカーが本当にたくさん走っている

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(噂どおり、街中を多くのクラシックカーが走っている。でもこれも、走らせたくて走っているのではなくて、新しい車が買えないから古いのを頑張って使っているのだろう。クラシックカー好きにはたまらないのかも)

こんな感じで、街を歩くだけで本当にツッコミどころが満載で面白いのがハバナです。これだけでも、キューバにやってきた価値があります。

ハバナ観光です!

では、街の感想を一通り書いたところで、この日の観光ルートを写真を交えながらご紹介します。

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(宿のベランダ、、というかRoberto家のベランダで風になびく私たちの洗濯物を後に、宿を出発。洗濯物、街に溶け込んでませんか?)

朝のビエハ広場

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(朝は人気がなく、観光名所というよりは子供の遊び場です)

ラム酒・ハバナクラブ博物館

英語のガイド付で7CUCぐらい。ハバナの傾向として、博物館や建物付の有料ガイドは英語ができて知識も豊富でレベルが高いです。ここのガイドのお姉さんもラム酒とハバナクラブの歴史について詳しかったです。代表的な銘柄、ハバナクラブ7年は日本では2500円前後ですがここでは10CUCで買うことができます。ただし、アメリカには持ち込めないので要注意。

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(今も稼働しているラム酒工場のジオラマ模型。「これは誰が建てて、今は誰が運営しているの?」と聞いたところ、「スペイン(かフランス、私の記憶が曖昧)人が建て、アメリカが受け継ぎ、革命後に摂取されて今は国営」とのご回答。なるほど。。)

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(積まれている寝かせ中のハバナクラブたち。数人のブレンドマスター(館内に素敵なおじさまたちの写真あり)が、丁寧に調合して様々な味のハバナクラブを生み出しているそうです。きっと、以前工場を訪れたことのあるサントリーのウイスキー職人と同じぐらいレベルの高い職人に違いない。しかし、キューバで職業人生を歩んで、どうすればその数人のブレンドマスターに仲間入りすることができるのかは謎)

旧市街を北上

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(街を歩いていると、あの手この手でチップをゲットしようという人々に出会います。馬車の左にいるカラフルな民族衣装風の人たちは、一緒に写真をとればもちろんお金を要求されます。これは途上国共通ですし、彼女たちも仕事だから別にいいんですけどね。他に、流しの3人組のミュージシャン(というか、ギターとマラカスにあわせて「アリガトウ」を連呼するだけの怪しいおやじたち)につかまり、ひとしきり演奏後に「ひとり1CUC×3=3CUCを要求されるも「ないからごめんねー」と2CUCを払ったり、いろいろあります)

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(民族衣装のみなさまも、暑くてお疲れです。「あー、もう暑くてやってらんないよねー」)

ホテル・アンボス・ムンドス

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(ヘミングウェイの定宿。ヘミングウェイが泊まっていた部屋があるのですが、この日は一般公開していませんでした。ホテルの設備はさすがにRobertoの家よりグレードが高いです。その分、値段もだいぶ高いのですが)

市立博物館(旧総督官邸)

スペイン総督官邸、大統領官邸、そして市庁舎として使われていた建物です。英語ガイドつきで見てまわりましたが、各部屋に保存されている当時のアイテムを見ながら革命以前のキューバの歴史を丁寧に説明してもらえます。スペイン総督時代の装飾品や食器などは本当に豪華で、当時のキューバが植民地として繁栄していたことを示すものです。歴史好きの方におすすめ。

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(なぜか、庭園にはクジャクが飼われています)

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(キューバには、アメリカがテロリストを捕虜として収容しているグアンタナモ米軍基地があります。しかし、なぜキューバと国交を断絶しているアメリカが、キューバに基地を持っているのか?こちらのサイトなどで概略を知ることができます。写真の文書はキューバとアメリカがかつて調印した借用書の原本です。博物館の説明では、「100年の期限でアメリカが借用して、200x年に期限は過ぎたが、アメリカはいまだに違法占拠したままだ」と書かれていましたが、webで調べると「永久租借」と出てきますね。どちらが正しいのかは私にはわかりません、、)

その他、カテドラルや要塞などめぼしい史跡をめぐり、革命博物館に向かいます。

革命博物館

革命前の大統領府を使ったこの博物館では、キューバ革命とその後のキューバの歩みを振り返ることができます。

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(グランマ号。12人乗りのこのクルーザーにメキシコから82人が乗り込みキューバ東部に上陸、山奥の集結地点にはそのうち12人が辿り着いたと言います)。わずか12人からスタートし、国を最後にはひっくり返すというのはどう考えても凄いです)

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サンタクララの戦いの解説。この戦いで革命ゲリラは政府軍を撃退し、多くの武器を奪ったことで、一気に形成が逆転したそうです)

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(革命後の政府はお金がなかったそうで、市民から様々な改革事業を進めるための資金をカンパで募ったりもしました。「協力を!」と一番下に書いてあります)

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(社会主義にお得意のプロパガンダ。アメリカの最近の大統領を皮肉り、「キューバの社会主義をより発展させるために、経済封鎖をしてくれて有り難う!」といったことが書いてあります)

この博物館では、わずか12人のゲリラの山奥への潜伏から始まって、最後には国をひっくり返す、その過程を展示で追う事ができ、興味深かったです。相手はアメリカの支援を受けた一国の軍隊、それをわずか12名のクレイジーなゲリラが最後はひっくり返す。通常であれば考えられませんが、これが可能になった背景にはアメリカがあまりにもキューバでひどい経済運営をしていて、反政府活動を支援したいと考える潜在的なキューバ人が多くいたということがあります。1950年代末という第二次世界大戦が終わって10年以上経過した時代に、半植民地政策をアメリカが実施していたという事実が驚きです。現代の常識ではいくら何でも考えられません。

観光バスに乗って、ハバナの西をぐるっと観光

革命博物館の後は、2階建ての観光バスに乗ってハバナ旧市街の西側を観光します。一人5CUCぐらいで、西側のめぼしい見所をぐるっと回ってくれるのでなかなか良いです。ただ、2階のオープンエアーで観光すると、市街の排気ガスに若干やられてぐったりしますが。

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(革命広場とホセ・マルティ記念博物館(塔が博物館になっている)。塔の形が星形なののは、キューバ国旗の星と同じく独立を表すそう。ちなみに、この革命広場には、毎年100万人(確か)の人が、演説を聞きに集まってくるのだそう。。。この貧弱なインフラで、どうやってそれだけの人がやってくるのだろうか??)

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(有名なゲバラの壁画)

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(こちらはカミーロという人の肖像)

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(街の西に西に行くと、一般の人の居住区やら大使館が並ぶ高級住宅街やらを通る。ぱっと見てあまりにひどい住宅は見当たらない一方で(注:帰国後にキューバに関するドキュメンタリーなど見ると、結構ひどい家もあるみたいです)、立派な家やアパートもちらほら。どこに誰が住むかは、いったいどうやって決まったのだろうか?聞いた話では国からもらえる給料は町工場の従業員も医者もそれほど変わらないらしいのだが、職業によって国からあてがわれる住居が違ったりするのだろうか。そんな疑問を抱いていたら、町中に「売り出し中」の住宅を発見。後で調べたところによると、数年前に住宅の売買が解禁されたらしい。しかし、いったいどうやってお金を貯めて住宅を買うのか。観光業に従事する自営業の人は、CUCがどんどん入って来てお金を貯めようと思えば貯められると思うけれども、他の人はどう考えても無理でしょう。売ってしまった後にお金がなくなって住むところがなくなったらどうするのか?いろいろと矛盾と不思議があるキューバの社会経済政策です。)

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(一般住宅地区を走る一般市民向けバス。この詰め込みぶり!初日のタクシードライバーの息子によると、車や自転車を持っている人は少なく、家から学校に通うのも、何をするのも、すべてがバスバスバス、、、なのだそうだ)

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(一般市民向けの市場。規模が小さめの市場はハバナ旧市街でも見かけたが、ここまで規模が大きくモノがある市場は見なかった。こういう市場に立ち寄れなかったのは残念)

ルートの決まった観光バスなので、きっと社会主義的に観光客に見せたい綺麗な場所だけを通るのかな、と思いきや、後日タクシーで自由に動きまわった時に見た街並みとたいして変わらない基本的にボロい街並み(時おり、高級住宅街や水族館などランドマークの横を自慢げに通り過ぎる)。しかし、繰り返しになりますがボロくても危険な臭いは漂っていないのが良いところ。キューバは、裏表なく金のない国ということのようです。

ヘミングウェイも愛したフロリディータでダイキリ

この日は、他にトリニダー行きのツアーを探しまわるという重大なミッションに取り組んでいるのですが、この話はトリニダーの回で書きたいと思います。この日の夕食は、ヘミングウェイがダイキリを飲みに通ったというフロリディータ。カウンターには、ヘミングウェイの銅像があります。ここのダイキリとモヒートはかなり美味しいです。おすすめです。

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(ここのダイキリは美味しかった)

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(夜のハバナ、宿の近くの裏道。こんな道でも、人がいれば意外に歩いても平気。シカゴの方がよっぽど危険です。ただ、フロリディータの前にも(怪しい)サルサパーティに誘う客引きなどはいたので、怪しい人に気をつける最低限の注意は必要です)

明日は、ピニャーレス渓谷です。