メキシコシティ(3)〜メキシコの雄大な歴史を遺跡から学ぶ

(7月1日)

ツアーでメキシコシティの重要な史跡を巡る

この日は、宿で申し込んだツアーで、三文化広場、グアダルーペ寺院、伝統工芸の工房、テオティワカン遺跡をまわります。一日かけてこれだけまわり、英語ガイドと移動込みでたったのUS30ドル。昼食は別料金でUS10ドルかかるのであわせてUS40ドルですが、ガイドも優秀な非常にクオリティの高いツアーで、コストパフォーマンスは(カンクンのツアーに比べると)かなり高いです。

三文化広場〜メキシコシティの歴史の重みを実感できる場所

朝、バンで宿を出発し、まずはメキシコシティ市街にある三文化広場に行きます。ここには、アステカ帝国のトラテロルコ遺跡、16世紀にスペインがアステカを侵略した後に最初に建てられた教会であるサンティアゴ教会、それらを取り囲むように現代の高層団地が立ち並び、メキシコの3つの歴史を見ることができるため、「三文化」と呼ばれています。入場は無料です。

この広場は、ただぶらっと入って見ただけでは、「遺跡と教会と団地があるのね、ふーん」で終わってしまうかもしれません。しかし、ガイドの湛然な説明を聞くと、この場所はメキシコシティの歴史を体現しているのだと気づかされ大変印象に残ります。

アステカ時代のメキシコシティは巨大な湖に浮かぶ大きな島に東西南北に伸びた都市で、その北側にあるトラテロルコには多くの市場がありました。当時の都市の広がる様子や市場の様子は、前日に訪れた人類学博物館でジオラマを見て確認することができます。そして、この場所ではアステカの最後の皇帝がスペインからの征服者と戦い、敗れました。その後、ここにあったアステカの巨大な石組みの建造物「トラテロルコ遺跡」をスペイン人は破壊し、その上に、トラテロルコ遺跡に使われていた石材を使って建てたのが、メキシコ最初の教会サンティアゴ教会です。

広場に入ると目の前に広がるトラテロルコ遺跡のしっかりした石組みや広がりが印象に残りますが、ガイドの説明によると今残されている石組みは当時のほんの一部にすぎないということ。アステカの人々は小さなピラミッド(?)の上に大きなピラミッドを重層的に積み重ねて行くようなやりかたで大きな建造物を作っており、スペイン人は石組みを破壊していったものの上から破壊しても破壊しても中に小さなピラミッドが出てくるため、すべてを破壊しきることはできず、壊しきれなかった当時の建造物の内側の小さなピラミッドが今残っている遺跡なのだそうです。ガイドが手振りで実際にはこんなに大きかったのだよと現地で説明してくれましたが、当時の遺跡の大きさに圧倒されます。

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(三文化広場。手前から、トラテロルコ遺跡、サンティアゴ教会、団地)

サンティアゴ教会は質素な作り。これは、スペイン人がとにかく教会の建造を優先して、装飾をする余裕がなかったからだと言います。これは他のスペインに征服された南米諸国にも共通するのですが、スペインはその土地を支配するために現地の信仰を否定して自らの権威を示すために教会を建て、キリスト教を布教していきます。しかし、これもまたほぼどの国にも共通していて面白いのですが、だいたいどこの国の人もはじめはキリスト教を信じません。そこで現地の人の関心を得るために、教会には現地の信仰や権威のモチーフが取り入れられていたりします(たとえば、インカ帝国を征服した地域の教会には、多くの黄金が使われています)。これはスペイン人が意図的にやっている場合もあれば、現地の人々が建設の途中でこっそりとしのばせることもあります。このサンティアゴの教会では、なぜか多くの旧アステカの住民が教会にお祈りに来るのでスペイン人がキリスト教が広まったと喜んでいたところ、実は壁にアステカの考え方で信仰の対象となるものが埋め込まれており(すいません、それが何だかは忘れてしまいました)、そのことにスペイン人は200年〜300年も気づかなかったそうです。しかし、そのような複雑な経緯を経て、今ではメキシコでは国民の98%がカトリック教徒、先日アルゼンチンから南米初のローマ法王が選出されたことは記憶に新しいところ。年月の積み重ねは人々の信仰も変えて行きます。

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(全体的に質素な作りの教会。ここに、旧アステカの住民にスペイン語の洗礼名を与える時に用いた聖杯も置かれています)

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(教会の壁。トラテロルコ遺跡の石が用いられているため、人為的に形作られた石が埋め込まれているのがわかる。写真ではわかりにくいが、後述のトラテロルコ事件の弾痕も残っていたはず)

余談ですが、この植民地の確立のプロセスは現代のグローバル経営と類似するところがありそうです。もちろん、支配/被支配の関係の植民地経営と、会社の経営は全く異なりますが、現地の協力を得るために支配者がリーダーシップや現地の共感を得られるな何か(価値観やスキルなど)を持ち込む必要があったり、そうはいっても現地の人が新しい考え方にパッとなじむわけではなく現地の人々の考え方と長い融合が必要であったり、植民地化のプロセスが終わりに近づくと最後は現地でautonomyを持つようになったりと、何だか企業の海外進出に似ているところがあります。このあたりのセンスを(良し悪しは別として)歴史的に磨いてきたのが欧米の人々だとすれば、日本人がグローバル進出に手間取るのは当然かもしれません。歴史の蓄積が違いすぎます。

最後に現代について。この遺跡(広場)のまわりには高層団地が広がっていますが、それだけがこの広場の現代の歴史を表すものではありません。メキシコシティは1968年にオリンピックを開催していますが、開催のために国内ではかなり政治的に強権的に準備が進められたそうで、開催の直前にこの広場で行われた大規模な学生デモに対して当時の政権は軍隊を用いて介入、多くの死者を出しました。それが、トラテロルコ事件です。

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(広場のすぐそばの団地にある絵。これは、当時学生を弾圧した大統領を揶揄したものだそうです)

この遺跡では、メキシコシティが文字通りアステカの遺産の上に建てられていること(セントロにもテンプルマヨールというアステカ時代の遺跡があり、今でもメキシコシティでは地面を掘ると遺跡が出てくることが多々あるそうです)、スペインからの侵略者は徐々にアステカの人々と融合し今のスペインがあること、そして現代のメキシコの歩みの一端を感じることができます。大変に興味深い場所で、是非、事情のわかるガイドと一緒に訪問することをおすすめします。

グアダルーペ寺院

この教会には、メキシコの人々の信仰を集める「グアダルーベのマリア」が祀られています。このマリアはメキシコのインディへナの人々と同じ黒い髪と褐色の肌を持っています。その他に、1976年に建設された現代的で巨大な聖堂もあり、全体としてメキシコのキリスト教において非常に重要な存在の教会です。

しかし、残念ながらこの教会で私が覚えているのは、腹痛を我慢してトイレに駆け込んだことだけです。。。教会の(広大な)トイレは、大きな聖堂の裏の方の地下にあり、有料です。そんな情報は誰もいらないかもしれませんが、当時の私には本当に死活問題でした。どうも、前日の昼にファミレスで食事をした時にハマイカに氷を入れて飲んだのが良くなかったのか、もしくは夜に食べた屋台の鶏肉がダメだったのか。。。メキシコ人曰く、メキシコの水は何かで強力に殺菌されており、その薬?の成分が外国人の腹に当たるそうなので、氷なのではないかと疑っているのですが。食べるものには気をつけましょう。

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(巨大な新聖堂。この聖堂の反対側の地下にトイレが、、、グアダルーペのマリアはこの中に安置されています)

メキシコシティのスラム

次の目的地に向かう途中で、車窓から少しスラムを見ることができました。

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メキシコシティ北部のスラムを車窓から)

スラムについて感じたことは別に少し書きたいと思いますが、この時は衛生放送のアンテナが林立していることが印象に残りました。情報や娯楽への欲求は所得水準を問わずに非常に強いということは、今回の旅行全体を通じて強く感じたことの一つです。

アステカの伝統工房

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(棚に陳列されている伝統工芸の品々)

さて、テオティワカン遺跡の前にアステカの流れを汲む伝統工房を訪れました。いや、確かアステカだったと思うけれども、違ったかな、、。いずれにせよ、非常に伝統的な石細工です。すでに相当記憶が曖昧なのですが、確かこんな話だったような。1)アステカ(だった気がする)ではこの黒い石を使った石細工が盛んだった、2)色を付けるために、カラフルな石(か染料)を他国から輸入していた、3)中にはメキシコ人にとってアステカの伝統から特別な意味を持つ石(学びを助ける、など日本のお守りのような意味合い)があり、今でも多くのメキシコの家庭では親から子に石細工が引き継がれている。この工房では、メキシコ人が今もアステカの伝統を大切に受け継いでいることが伺えました。

この工房に併設されていたレストランにてビュッフェ形式の昼食。ここで出されていたチョコレートのタコスソースはもの凄く美味しかったです。

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(チョコレートのタコスソース。甘くはなく、鶏肉と一緒に食べるとすごく美味しい)

テオティワカン遺跡

テオティワカン遺跡はメキシコシティ北部に位置する巨大な遺跡で(wikipediaによると)紀元前100年頃から建設がはじまり紀元250年頃に完成した都市で、7世紀か8世紀頃まで繁栄していたらしい。遺跡には、北側に月のピラミッドとその前に重要な祭事が行われた月の広場、中央東側に最も大きな建造物である太陽のピラミッドがあります。しかし、当日ガイドと話してみてわかったのは、この「月のピラミッド」「太陽のピラミッド」という呼び方も、アステカの人々が彼らが重要と考えていた月と太陽に倣ってつけた名前で、実際にこのテオティワカンがどのような文明で、この都市で何が行われていたのかは、よくわかっていないということです。アステカの人々がテオティワカンを発見した時にはすでに遺跡の状態であり、アステカの人々は彼らが作るピラミドと比べてあまりにも巨大なテオティワカンのピラミッドと遺構を見て、これは神が作ったものに違いないと考えたと言います。

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(太陽の神殿)

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(太陽の神殿の頂上より、月の神殿を望む)

面白いのは、このテオティワカンもマヤやアステカと同様に生け贄の伝統を持っていたと考えられていることです。今のメキシコに直接的に続く歴史を持っているのはアステカですが、テオティワカンやマヤなど古くから数々の古代文明が栄えたメキシコは非常に長く豊かな歴史を持つ国なのだと改めて感じました。

Booth卒業生との食事

ツアーから戻った後、この日の晩はBoothを卒業した友人のメキシコ人に案内してもらいEl Bajioというレストランで食事をしました。これまた、抜群に美味しい。いやー、美味しい。メキシコに来て本当に良かったと思う瞬間です。

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(チキンタコス。絶品)

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(テキーラ。アメリカではテキーラはショットとしてガンガン飲みますが、本場ではトマトミックスなど異なる味のものを順番にじっくり飲んで味わいます。口の中で合わさる味が絶品)

友人にはいろいろとメキシコについて質問をさせてもらいました。市内を車で移動している時も、市内に立っている像のことなどを良く知っていて説明してくれるので、何でそんなに歴史に詳しいのかと聞いたところ、中学校時代に歴史の授業で2週間に1回は市内に繰り出し先生がいろいろな説明をしてくれたこと、母親が歴史の教師だったことが影響しているそうでした。そのような生きた歴史教育が、日本にももっと必要だと感じました。ちなみに、そんな彼がメキシコで一番おすすめする場所はオアハカ。先住民が多く住み、昔の街並みが残るとても良い場所だということ。一度、訪れてみたいものです。

メキシコシティ夜の警官

最後に、夜の警察官の写真を一枚。友人が私たちをセントロの宿まで車で送ってくれようとしたのですが、警官が大量に動員されており各所が通行止めになっていて宿まで近づけず、結局宿の近くで降ろしてもらって歩いて宿に帰りました。おとといのレインボーパレードの際にも広場に大量に警官がいたのを見ていたので、「たくさん警官がいるのは当たり前だと思っていたよ」と言ったところ、通りが警察官だらけなのは全く普通ではないということ。きっと、ソカロのあたりに要人がいたのでしょうね。

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(宿から見た警察官たち。ただいま撤収中)

メキシコシティ 旅のまとめ

(旅のTIPS)
  • メキシコシティは物価が安めで食事が美味しい。ただし、腹痛には気をつけて
  • メキシコシティは、アステカ、スペインによる征服、そして現代のメキシコと歴史を知るのにとても良い場所。街中に古代の遺跡が眠っており、まるでローマのようです。歴史好きの方におすすめ
  • もう少し日程に余裕があれば、壁画やモダンアートを見てまわるのも、メキシコシティの楽しみのひとつ
メキシコシティで感じたこと)

メキシコに来る前のメキシコに対するイメージは、アメリカに隣り合ったスペインの植民からスタートした発展途上の国で、治安が悪そう、という程度のものでした。

しかし、カンクンとメキシコシティを経て、この印象は大きく変わりました。まず、歴史には紀元前から豊かな歴史があること。テオティワカン、マヤ、アステカといった数々の文明の歴史は、今でもメキシコのバックボーンとなっており、メキシコがスペインの入植前から長い歴史を持っていることを教えてくれます。これに比べると、お隣のアメリカの歴史の何と短いことか。

一方で、「メキシコには歴史がある」と感じる現代の私の目にもバイアスがかかっていることも感じました。例えば、私たちがテオティワカンやマヤは凄いと思うのは、現代の私たちの目から見て凄いと思う何かー巨大なピラミッドであったり天文学の証であったりーが残っているからそう思うわけです。アメリカー私の目には、アメリカの歴史は入植以後500年ぐらいしかないように見えるわけですがーにも、先住民はずっと住んでいたわけで、彼らが営んでいたことが目に見える形で打ち出されていないから、アメリカにはヨーロッパ人の入力前にはあまり歴史がないように感じられてしまうのだと思いました(私がアメリカの歴史について不勉強なだけかもしれませんが)。その地域の現代の人が、過去をリスペクトしているかどうかも、歴史があると感じるかどうかに影響を与えているかもしれません。メキシコでは、アステカ以前の文明への尊敬を多くの人から(先住民の血筋を引くか否かに関わらず)感じますが、アメリカでは正直なところ先住民への尊敬は感じません。この点、日本は外国人の目には歴史を非常に重んじ過去の文化を尊敬していると映っているようです。

もう一つ感じたことは、歴史の積み重ねがあるから国が発展するわけではないということです。メキシコの一人当たりGNIは約9240ドル(外務省ホームページより)で、アメリカの方が経済的に発展していることは明らかです。いかにアメリカが「伝統的なアメリカ料理はハンバーガー?」という国で、私がメキシコの歴史の重みに感銘を受けたとしても、経済的に現在大きく発展している国はアメリカです。歴史の厚みは現在の経済的な発展とは直接リンクしないということを改めて感じました。

また、国全体の数字としては発展途上の数字を表していても、国の中には様々な社会や経済が存在しておりひとくくりにする事はできないことを感じました。例えばメキシコシティの新市街は本当に綺麗で高層ビルが建ち並び、レストランの数も多く、自分はメキシコシティに住もうと思えば住めるなあと感じさせます。しかし、そこから車で20分も行けばそこにはスラムが広がっており、かたや、カンクンはまるでアメリカのようなインフラのリゾート地、メキシコとアメリカの国境地帯は麻薬紛争で危険なことで有名、などなど。各地域で住んでいる人の生活水準や考え方も異なりますし、このような多様性は実際に足で稼いでみないとわからないかもしれません。

文化的にはメキシコはラテンの国で、これもアメリカとはまったく異なります。お隣の国なのに、こんなに文化が違っていいのか、、というぐらいすべてが違います。この地続きだけど全然違うという感覚は、今後もっと南米で体験することになります。

明日より、旅のハイライトのひとつ、キューバ編です。